Didier Merah Japan

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Heaven

Track List

TitleArtistTimeRecorded
1Ave MariaDidier Merah14:052020/05/30
2Endless BellDidier Merah16:552020/06/07
3LevitationDidier Merah13:132020/08/10
4Ever Living GardenDidier Merah10:442020/08/10
5Innocent PalaceDidier Merah14:012020/08/10
6Archangel of the EarthDidier Merah12:502021/05/22
7Archangel of the AirDidier Merah10:552021/04/30
8Archangel of the WaterDidier Merah11:432021/05/22
9Archangel of the FireDidier Merah15:302021/04/30
10Empty ThroneDidier Merah14:272021/01/03
11WhiteoutDidier Merah15:352021/01/03
12Return to the EarthDidier Merah14:242021/04/30
13New MotherDidier Merah13:252021/01/03

アルバム『Heaven』を語る

Written by Didier Merah at 2021.06.08

1. 製作とそのプロセスについての概要

2021年6月。世界は重い空気に包まれたまま、間もなく夏を迎えようとしています。

私の住む東京は丁度紫陽花が満開の季節を迎え、アルバム『Heaven』のリリース日までのカウントダウンの秒針の音色を聴きながら私は、行く先々で色とりどりの紫陽花の美しい立ち姿をスマートフォンに収めて行きます。今年の紫陽花に暖色系が少ないことを不思議に思いながらも、各々の花は皆、凛として空を見上げ、今、世界中で起きていることをなにも知らない少女のように、美しく咲き誇っています。なのにその瞬間だけを切り抜いた写真からは、そこはかとない悲しみを感じて仕方がありません。

今年の紫陽花はこの一年と少しの間に起きた全ての出来事を雨水から吸い上げた、澄んだもの悲しさを抑えきれぬまま、満開になりました。

人間は何を、どこで、どう間違えてしまったのでしょうか。取り乱したように街の中を滑走する者もいれば、心の中の狂気をどうすることも出来なくなってしまった人達が壊れた人形のように、この世界の時を手放そうとする者も現れます。かと思えば長く先の見えない閉塞感に誰もが落胆し、危ういけれど一見自由をともなって吹く風に向かい、声のない叫びを上げているように見えます。一方私はそれら全ての現象をフィルムのように心に焼き付けながら、かつてとてつもないスケールの自爆を遂げたリラ星(M57, NGC 6720)の魂と今、このタイミングで向き合い、この先どうしたら私達人類がより良い方向に再び歩み出せるのかについて、自然神や宇宙神、そして精霊達と静かに静かに語り合っています。

地球は静寂を欲しています。

ただでさえ無謀な熱と騒音に日夜攻め立てられ、休む間もなくこの星の秩序を維持し続けている地球。飛行機はひっきりなしに空を行き、電気を起こす為ならば熱くて冷徹な鉄塔を幾つも建設して行く人間達。水は汚れてぬかるみ、これでもかと削り取られて行く土や地面に緑は息絶えて、渇いた大地は既に水を蓄える力さえ失い始めています。それでも人間は、我々の思う便利な暮らし、日々の賑やかなルーティーンを止めようとはしません。遂に自然神達は立ち上がり、地球も意思を持ち始め、それを行動に移し始めようとしています。

そんな地球や自然神の思いを知り、私は昨年からより一層の自粛生活に入っています。それはまるで修行僧のようでもありますが、どこかの過去世で私はそんな生き方を既に習得しているので、その中でも快適に生きられる術を編み出しながら地球になるべく寄り添って暮らしています。尚且つそれまで以上に静けさに徹した音楽を作り、神々に、そして未だ見ぬ宇宙の生命達に、そして自然神や宇宙神と言う特別な存在に語り掛け、各々の思いを慮ります。

待ち続けることは、何もしないのと同じこと。だから私は小さな体と小さな心、そして己の魂の未熟さを知りながらも果敢に、全生命へ、全精霊へ、そして全ての人の魂に向けて心からの声を上げ、彼等の名を呼び、私の側から彼等の霊体に触れて、無音の会話を続けています。そして不思議なことに彼等のような優れた存在がこの、小さな私の叫び声を逃さず聞き入れて、そしてレスポンスを送ってくれます。それは奇跡のような瞬間であり、私はその瞬間の感覚を逃さぬように音楽と言う優しいタッパーにひとつずつ、奇跡を詰めて行くのです。

2. 直前の過去世について

この執筆を読まれる方は、過去の私の心情に触れることになりますが、私の時間はあの、リラ星(M57, NGC 6720)の自爆からずっと止まったまま進んでいます。懐かしさと後悔が複雑に入り混じるこの感覚は、おそらくこのアルバム『Heaven』の中にもふんだんに現れます。

あれから何度、私は「死」を経験したでしょうか。思い起こせばきりが無いほど、私は生きたり死んだり… を繰り返しています。ですがこの世界にはまだ多くの仕事が残っており私は死後の長い休暇を与えられることなく、きわめて短いインターセルフを経て、あっと言う間にこの世界に引き戻されます。仕事は多岐に渡り、それぞれの人生のミッションの担い手が私以外に存在せず、何度生まれ変わっても仕事が尽きることはありません。

リラ星(M57, NGC 6720)の時代は二度、私は巫女として生き、地球では特に文化に関わるミッションに長期的に従事する中で、随所随所で隠密のミッションを与えられて短い一生を幾つも生きました。痛みを知り、かすかな喜びを偉大な師と分かつ人生が積み重なって、それが今世の私の礎になっています。

生まれ変わる瞬間は、とても壮絶です。心と魂にそれが大きな負担を掛け、傷跡も少しだけ残ります。魂は空から目的の場所をめがけて何かの力で突き飛ばされ、直進しながら地上へと下降して行きます。私にはその記憶が鮮明にあるので、時折物凄く怖い夢となって現れます。雲の上から地上をめがけて一直線に目的の母体へと滑降して行く時の、あれは一種の恐怖と言っても良いでしょう。本来祝福されるべきことであるにも関わらず、私はただ、運命を司る神の手によって、新たな人を生きる為に空の上から落とされて行くのです。でもその先には新しい命が待っており、気を失ったまま少しの時間が過ぎると又次の人生が再開します。

そう、私にとって、いつからか人生は「再開」し続けています。

直前の人生で私は、イタリア人として生きていました。記憶では、名前を「ジル」と言っていたように思います。優しい両親と弟がいて何不自由なく育てられた私はむしろ、苦痛が無かった分その人生の詳細を思い出すことが今も出来ずにいます。途中で人生のミッションの軌道を外れた私はある日、本当ならば誰も通らない筈の農道で大きなトラックに撥ねられて私のイタリアでの過去世は終わりました。それはとても瞬時の出来事だったので、石に当たって気を失ったような感覚のまま私は本当に「数分間」に感じるとても短いインターセルフを経て、今世の私にミッションを引き継ぐことになりました。

なので私にとっては人生は「再開」したのであって、始まった時には感覚的に既に私は大人でした。でも実際は小さな紅葉のような手足に変わってしまい、あの瞬間は本当に驚きました。一体私の身に何が起きたのだろうかと訝しむ私を、何人もの大人が覗き込んでいたのを今でも忘れられません。

3. このアルバムで成し遂げたこと

このアルバム『Heaven』は、人が死を迎える瞬間から次の生に向かうまでのプロセスを音で描いたアルバムです。

企画は夫・天野玄斎です。彼の企画がここまで綿密なのには、きっと理由があります。それについてはここでは割愛しますが、私が今こうして思う存分音楽を作って表現できるのは、ひとえに彼のお陰です。そしてこれは付け焼刃な感謝ではなく、彼でなければ私の、魂の変遷や霊体の真実を突き止めることは出来なかったでしょう。私が語る霊体の話や魂の感覚や出来事を、彼だから日常の他愛ない話として受け取って、それについて深い考察を重ね合わせてくれるのです。

ただの音楽としてではなく、人生と人生の中間を鮮明に描くことも私のミッションのひとつです。それは現夫と出会うまでは誰にも理解されることはなく、とても奇妙な空想として多くの人達が受け流して行った私の中の核心部分でした。

このアルバムで、私は三つの悲願をなし遂げることが出来ました。

  1. 失われたクラシック音楽の歴史の隙間を復元すること。
  2. 出来るだけ忠実に、心霊や精霊、自然神の存在や思いを音楽として再現すること。
  3. 前章で綴った私の直前の過去世の「ジル」の思いを成就すること。

そしてあえて④を付け加えるとするならば、それは「近い将来、地球外の生命達にこの音楽を無事送り届けること」とでも言っておきましょう。

長年の悲願をある意味遂げたこのアルバム『Heaven』は、アルバム自体が売れようが売れなかろうが、ウケようがウケなかろうが、音楽の歴史にいずれ大きな歴史を刻む作品になるでしょう。

音楽は人間だけのものではなく、それ以外の生命や神々や精霊達のものでもあります。例えば草木や花、猫や犬、ウサギからゾウに至る動物、そして場合によっては人間ではない生命がそれを欲することもあり得ます。そして視覚には写らない霊魂や精霊などが、音楽に呼応することも多々あります。このアルバムは特に、そうした存在に向けて投げ掛けた作品だと思っています。

4. 音楽史と音楽理論の軌道修正

そして何よりこのアルバムの企画が夫・天野玄斎から持ち込まれた時、私の中にある種の闘志が芽生えたことは否めません。

それは自分に対する闘志と勝負であり、これまでのDidier Merahの作風やスタイルに加え、大きな意味での音楽史の歪んだ線を真っ直ぐに修正するには何を為すべきかについて私は、数週間考え続けました。その為には、戦争等の世界情勢の事情で途切れたまま失われてしまったロマン派中期以降の音楽史を、私の手で復元しなければならないと言う思いに至り、このアルバムの中でそれをようやく達成することが出来ました。

例えばその一つとして、現代の音楽理論で禁止されている「平行5度」「平行4度」の法則を、私は[M-9: Archangel of the Fire]で見事に破りました。

ですが実際に禁じ手とされている「平行5度」をふんだんに使ってみると、そこにアトランティス時代の古い音色が浮上して来ました。音楽が「旋律+和声」に分離される前の、モードと(当時は未だ未完成だった)対位法で成り立つ音楽が、古代アトランティス時代に既に存在していたことを、私は演奏中に知ることとなります。確かに「平行5度」はR & Bやケルト音楽の中には当たり前のように登場するのですから、この禁じ手はもうそろそろその呪縛から解放されるべきだと私はずっと思っていました。それを[M-9: Archangel of the Fire]でいとも自然に実現させることが出来ました。

さらに[M-8: Archangel of the Water]の中で私は、ずっと描きたかった「イタリア」を思いのまま描くことに成功しました。

それはカンツォーネと呼ばれる前の、もっと古めかしいイタリアと、現代のイタリアン・ポップスの甘い感性をゴシックに置き換えた、完全なハイブリッド・イタリアン・クラシックと呼んでも過言ではないでしょう。イタリアの古い音楽に「ナポリ民謡」がありますが、とあるナポリ民謡が実はアルメニア民謡と同じ曲だという逸話もあります。宗教的な共通項の多い両国を一曲の中で描くというのは無謀な計画でもありますが、それがこの作品[M-8: Archangel of the Water]で叶いました。過去世「ジル」の魂も浮かばれ、私はこの作品を描くことでずっと止まっていた時計の針をリスタート出来たような喜びを今、心からかみしめています。

又[M-6: Archangel of the Earth]では、これまで機械の偶発性と効果音のつなぎ合わせによる音楽としてしか実現していなかったアンビエント・ミュージックの世界観を、生演奏で再現することに成功しました。

アンビエント・ミュージックを好まない人の中に、おそらくそれらが機械の事情で成り立つ無機質で不自然な産物である為に、どうしてもそこに居場所を見い出せずにいた人達が多いことは、以前から知っていました。私もその一人です。ならば手弾きでアンビエント・ミュージックを再現させてはどうだろうかと言う構想は、既にアルバム『Tales of Kono Hana Sakuya』(2012年4月25日リリース)の段階で心に在りました。そこから10年近くの時を経て、ようやくその夢が作品として完成したことになります。

戦争で時を止めてしまったロマン派中期のその先を、私は何としても復活させたいと長年思い描いていました。それがこのアルバムで叶ったことで、もしかするとクラシック離れを起こしている一部のクラシックが本来好きだった人達を呼び戻すことも、きっと可能になると信じています。良い意味で世情を反映しないクラシック音楽は、これまで存在しませんでした。多くの既存のクラシックが人の感情やその時々の時代を反映しながら書かれている為、どうしても肩の力を抜いて聴くことが出来ません。

人の感覚は徹底的な脱力を経て、開花します。無になることで、それを達成することが出来ます。私は音楽の力を駆使して、一人でも多くの人をその境地に誘導したいと願っています。そこには真実と自由があり、人はそこで初めて宗教や古めかしい倫理観の呪縛からも解放されることを知ったからです。

5. 魂の旅の結末

このアルバムには、もう一つの伏線が存在します。それは既に各々の楽曲のタイトルに刻印されているので、ここでの解説はあえて省略します。私の願いは、聴く人ご自身の感覚の解放と進化の実現です。その為には文字テキストは最小限に抑えることが望ましく、作曲者自らの思いや解説等を書き過ぎて風通しを悪くしては意味がないと思っています。

あえて特記事項を何点か、付け加えましょう。

[M-10: Empty Throne]。これは文字通り「空(から)の玉座」と言う意味を持つタイトルネームです。

M-6からM-9に至る4人の大天使との逢瀬を叶え、[M-9: Archangel of the Fire]ではある種の儀式を彷彿とさせる時間を送ることになります。そこには「火」ならぬ「聖火」と、その聖火を命懸けで守る人々の使命感をも合わせて表現されています。そしてその彼方には、ギリシャ神話のゼウスが毅然と此方の思いを受け止めるべく存在しています。

火の儀式を終えた後、その先に真の神の存在を切望しながらそれまで開かれたことのなかった扉を開けます。そこには神が存在すると地球上で教えられていたので、そう信じて扉の向こうの玉座を覗き込むと、そこにはただ空席の玉座だけが在りました。地上では多くの人々がその玉座や、そこにあらせられるであろう神に向かい、礼拝し、祈りを捧げていました。ですが実際のその空間には、誰も存在しないことを知ることになります…。

アセンションの、真の答えがそこにありました。

[M-11: Whiteout]で、全てが消えて行きます。感覚も魂も、夢も希望も何もかもが消えて、そこにあるのは永遠の「無」のような空洞だけになります。でも、意識と霊体だけは消えずに残ります。世界のどこでもないどこかにぽつんと在り続ける意識は、さながら私がリラ星(M57, NGC 6720)が自滅した後に宇宙の真ん中のどこかに魂を放り出された時の、あの感触に似ています。時間もなく、音もなく、永遠の闇と意識だけの世界がそこに在るだけの世界から、人はいつか新たな希望とミッションに向かって歩きだすことになります。

[M-12: Return to the Earth]では、闇の中から夢の扉へと手を伸ばす瞬間の人の意識と、そこに微かに生まれる希望とを描き、ラスト曲の[M-13: New Mother]へと物語は静かに進んで行きます。このアルバムに、人の気配は全くありません。唯一[M-13: New Mother]でようやく「人」らしきものの存在を感じ取ることが出来ますが、それは母胎のシルエットだけであり、自分自身は未だ存在しません。

もう一度地球に還ってやり直そう… と言う思いがようやく芽生えたところで、このアルバムはそっと幕を下ろします。

6. あとがき

2021年2月から私は、プレアデス星団のJane(仮名)と言う女性とのコンタクトを開始しました。その直後にM-6からM-9までの、四大天使をレコーディングしました。色々な経緯があり、現在(2021年6月現在)の私とJaneのコンタクトは少し距離を置いた状態で、双方の体力・気力に無理のない形で継続しています。

特にこの四大天使を描いた後から、私の感覚や人生観に大きな変化がありました。一度感覚が変わると、人はそれ以前の状態には戻れません。私の今回の場合がそれにあたり、特に感覚をそれ以前に戻す必要も感じないので、私はますます宇宙とか地球外の世界との繋がりを深めて行くことになるでしょう。今はそれが自然体と思うようになり、その分生き物としての「人」の感覚とのズレで時折違和感を感じることもあります。そんな自分をただ受け容れ、受け止め、そして次の課題に移行して行くことにします。

音楽的なことを付け加えるならば、私の音楽はますます無口になって行くでしょう。

徹底的に音を減らし、本当に必要な成分だけをそこに置く音楽。心拍数をさらに落とすことで、音楽も人もその寿命を延ばすことが可能になります。私が目指すのはそこです。人の寿命を延ばすことができる音楽があるとしたら、それは今私が生み出している音楽の他にはないでしょう。残響奏法やペダリングの技術にもさらに磨きをかけながら、ここからDidier Merahは宇宙のさらに奥、さらに深い場所に佇む偉大な存在にアクセスして行こうと思います。